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今月の法話(令和2年)

今月の法話(令和2年)

原文:まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、わが身にはひとつもあひそふことあるべからず【御文章(電光朝露の章)】

現代語訳:いよいよ死ぬときは、かねて当てにしていた妻子や財宝も、一つもわが身に添うものはない

新型コロナウイルスの世界的流行の影響により、私たちの健康やいのちそのものが脅かされる状況の中で、感染への不安からでしょうか、本来の人間としてのつながりさえも危機的な状況です。感染者やご家族への攻撃誹謗なども後を絶ちません。不安や怒りに包まれる中で、私たちは何をもって安心を見いだせるのでしょうか。私たちは、高度に発展した科学技術、特に医療の目覚ましい発達によって、本来は如何ともし難い老・病・死を極力あってはならないものと避け、見ないようにする生活が当たり前になってきていました。老・病・死を隠している社会、否定している生活に何ら疑問も持たずに生活しているのが私たちかもしれません。如何ともし難い老・病・死から目をそらすことは、人間の自己中心的な欲求心を満足させる方向を生みだし、いのちよりも目先の経済が優先されがちとなり、そのためにこれまでに沢山の方々が「公害」という名の下に犠牲となっていかれました。私たちがいま享受している便利な快適な生活様式は、こういう方々の犠牲と共に自然環境そのものを破壊したところにあるということも忘れてはならないことです。

何時の時代でも強きものは弱きものを己の欲望追及のために抑圧してきましたし、財があればその財に執着し続け、他に施しをすることができないという、正に『仏説無量寿経』に示される「悪がはびこる苦悩の世界」そのものであります。これは他人事では決してなく、最近頻繁に聞かれるようになった「争族」という言葉に表されるように、死にゆくもの人も残される人も、執着に取り込まれています。この世に生まれたということは必ず死を迎えるのですが、死とは今日的な価値観で言えば不幸としか言いようがありません。その不幸だという事実をごまかすには、私たちの持っている欲求心をあおり、目先の利益が中心となり、未来のことは考慮しない、今がよければよいという快楽主義の方向に向かっていくしかありません。それはまさに、私の欲求が叶えられれば幸せであるかのような錯覚を与えます。これをある人が言いました。「酔生夢死の如くに終わっていく人生」と。あらためて避けられない死を眼前に見据えたときに、本当に頼りになるものは何でしょうか。それは死んで不幸になるのではない、浄土に仏となって生まれゆくことです。

「後生の一大事をこころにかけて阿弥陀仏とふかくたのみまいらせて念仏もうすべきものなり」  本願寺第八代蓮如上人の御文章より


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