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7月の法話(令和元年)

7月の法話(令和元年)

苦しいのは私だけではないよ

原文:たとい身を、もろもろの苦毒の中におわるとも、我が行は精進にして、忍びてついに悔いじ
【仏説観無量寿経讃仏偈】
現代語訳:たといこの身を、どんな苦しみや毒の中に留め置いたとしても、それによって救われてくれる者がいるならば、私はその苦しみを引き受け、耐え忍んで、決して後悔はしません。

大分と前のことになりますが,これはあるご年配の方のお話です。実は,この方は,たった一人の娘さんを先に亡くされました。そしてその当時,この娘さんには,幼稚園のお嬢さんがいらっしゃいました。

突然の病でした。その当時は目の前が真っ暗になり,何が何やら分からない中で一日一日を送られたそうです。そんな中で,娘さんが残された幼稚園のお嬢さん(この方にはお孫さんになります。)をお引き取りになり,お育てになられたのです。「今にして思えば,よく頑張って生きて来たな。」とは,その当時を思い出してのそのお方のお言葉です。

それでもその当時は,「どうして,この私の一人娘を奪うのだろうか? 神も仏もないものか!!」と恨まれたそうです。そして,「娘を亡くした私ほど悲しみの中にいるものはいない。どうして私だけが!!」と,絶望の中で生きておられたそうです。

ところがある日,お寺にお参りした時に出遇われた言葉が,冒頭の今月の言葉です。お話を聞かれる中で,「そうか!! 私は私自身の悲しさだけにしか思いがいたらなかったけど,たった一人の小さいわが子を残していかねばならない娘は,どれほどの悲しみだったのだろう!! そしてたった一人の大切な母親を失った孫は,どんなに辛い思いをせねばならないのだろうか!!」と,思われたそうです。

人は皆,それぞれの苦悩や辛苦と共に生きています。それがまた,私が私自身を生きている証ともいえます。他人に代わってもらえない,代わってあげることのできない辛苦だからこそ,それをわが苦しみとして,わが悲しみとして,引き受けていくとお誓いになられたのが阿弥陀如来です。「この身をどんな苦しみの中に置くとも,それによって苦悩の人が救われるのなら,その苦しみを引き受け,耐え忍んで後悔はしない。」との如来さまに抱かれ,私はこの私を生きているのです。決して一人きりではありません。私だけが苦しいのでもありません。私たちは皆,南無阿弥陀仏の中で生きているのです。


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